
何度か目が覚めながら、9時に起床。随分寝た。部屋から出ると、光が美しい。昨日の夕方ここに到着したので、よくわからなかったが、ユニークな建物だ。上記の写真は中庭から撮影したもので、正面にはキッチンがある。昨日飛行場からこの施設に移動し、施設内のレジデンスルームに寝させてもらった。SERBUK KAYU 1というアートコレクティブのスペースだ。僕はここに何日か泊めさせてもらうことになっているようだ。(あまり自分のスケジュールがよく分かっていない。)
SERBUK KAYUというアートコレクティブ
今回のビエンナーレ2を運営しているメンバーは、SERBUK KAYUのメンバーでもある。このコレクティブは十年以上の実績があり、展覧会の運営だけでなく、様々な教育実践を行う等、多岐に渡る。
ここでは、SERBUK KAYUという名前の由来がユニークで、そこに彼らの精神も表れていると思われるため、それだけ紹介しておく。コレクティブの名前の、SERBUKは粉、KAYUは木材という意味で、木を切ったときに出てくる木くずのことを表している。木くずでは何にもならないが、木くずを圧縮するとMDF3という強い板になる。それをイメージしているようだ。一人では何にもならないが、たくさん人が集まり協力することで、MDFのような力強い構造を持つ。また、ゴミと思われた木くずを、力強い板に変えるように、今までの価値観を再定義していくことも活動の理念に含まれている。
メンバーの多くは、この施設の近くにあるスラバヤ大学出身で、美術教育を専攻していたようだ。運営資金は、政府に頼っているようだった。インドネシアのアートコレクティブは、独立した経済圏を指向しているという印象があったが、いろいろな運営スタイルがあるようだ。
伝統的な風呂とトイレ
SERBUK KAYUに滞在して気になる部分は、何と言ってもトイレと風呂だ。昨日の夜も、気になってはいたが、なかなかに、伝統的な様式である。風呂とトイレはユニットになっており、同じ部屋にある。
まず風呂にはシャワーや温水は無い。トイレの横に小さな貯め水があり、桶ですくって身体を洗う。問題は、この水が少し茶色い気がするのだ。水を飲むと腹を壊すと聞いていたが、きっとそうなのだろう。この点については、似た環境を経験したことがあったので、僕は最初から全然大丈夫だったが、これが3週間続くとどうだろうか。きっと暖かいお湯を使いたくなるだろう。
そして、風呂よりも問題になったのが、トイレだった。
初めての瞑想とトイレ
朝になってトイレに行きたくなったが、先客がおり、しばらく我慢することになった。こちらは、大をもよおしていて、一刻を争う状況だ。滞在して一日目でお漏らししかねない状況になり、冷や汗が出る。なかなか先客はトイレから出てこず、こちらはほとんど出かかっているところを、部屋の中をうろうろしながら我慢した。待つこと20分。こちらは瞑想状態に突入。便意は若干ひっこんでくる。もしかして、彼もトイレでお祈りか瞑想かしているのではないかと疑ったが、ずいぶん長く待ったように思う。
ようやくトイレに入ることができ落ち着いた。しかし、トイレには、トイレットペーパーが設置されていないのだ。トイレットペーパーを捨てる場所もない。あるのは、昨日身体を洗い流した、トイレの横にある貯め水だけだった。その水を使って、お尻も手もウンコも流すということを、空間が表しており、なんとなく全て理解し受け入れた。正しい使い方が分からないが、たぶん合っているであろう。
トイレを出てから、メンバーの人にうんこの仕方について確認しようとしたが、「出した後にタバコを吸う」というアドバイスをもらった。そういうことではないと思った。トイレの仕方も、言葉も分からないのだから、おじさんは、赤ん坊のような気持ちになる。
- SERBUK KAYUの活動に興味がある方は彼らのウェブサイトを確認してほしい。
参考:SERBUK KAYUウェブサイト ↩︎ - 今回僕が参加するのは、第11回 東ジャワ・ビエンナーレという展覧会だ。2005年から2年に1度の間隔で開催されている。東ジャワのことをJaTimと言うので、英語表記だと、Biennale JaTim 11となる。第11回の展示テーマは「沿岸域の回復力」となっている。
参考:Biennale JaTimウェブサイト ↩︎ - MDF 木材チップを圧着し合板にしたもの。安価な家具類にはよく使われている。
参考:Wikipedia(中密度繊維版) ↩︎