day5-2 元気すぎふ

滞在記

 午前2時。体力限界の状態で寝る。
 とだけ書いて、この記事を終えていたので、続きを書いてみる。タイトルは誤字があったが、そのままにしておく。この日は盛りだくさんで疲れたのだが、体力限界が伝わるよう、一応、最初から最後まで同じ投稿内で書いてみるので長くなる。

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 12時頃、インポーから連絡。コーヒーに誘われて海辺のカフェへ。インドネシアの人たちは、みんな本当によく集まるし、よく喋る。途中礼拝の時間などに1時間くらいそれぞれの家に帰ったりする時間はあるのだが、この日は12時くらいから朝の2時くらいまで、何やら話していた。カフェの前には、屋根が付いていて涼むことができる場所があるのだが、そこに集まるのが彼らの日課だ。Prewanganのメンバーが特別なわけではなく、この街ではみなそのようにして集まっている。

 この日は、23日にある伝統的なお祭りのミーティングもコーヒー屋の前で始まったりして、コレクティブのメンバー以外もたくさん集まっていた。僕は、通訳がある時しか基本的には何を言っているか分からない。分からないが、とても楽しく聞いている。みんなよく笑うし、よく喋るので、見ていて楽しいからだ。23日のお祭りは、インドネシア政府からの助成金が出ると言っていた。伝統文化には保護のためにお金が出るけど、アートには出ないとも言っていた。
 
 このコーヒーショップには、タバコも売られている。インドネシアの人たちはよくタバコを吸う。12歳くらいの子ども達もみな吸っていて、大人もそれを止めることはしない。一応気になって聞いてみたが、21歳くらいから吸っていいんだと思うと言っていた。正確なことは知らないようだった。全てに対して大らかである。インドネシアはタバコの産地でもあり、信じられないくらい安い。僕は禁煙して1年以上経過していて吸いたいとも思わなくなっていたため、昨日までは断っていたのだが、つい手を出してしまった。ちなみに、コーヒーも産地で、よく飲まれている。飲み方が独特で、フィルターを使わず、インスタントコーヒーくらいまで細かくした豆にお湯を入れそのまま飲む。上澄みだけ飲み、そこにたまったコーヒー豆は飲まないようにするのだが、コーヒー豆はじゃんじゃん口の中に入ってくるから、胃が悪くなりそうだ。エスプレッソのように濃ゆいコーヒーなので、砂糖を多めに入れて飲むのが普通なのだが、僕はブラックをいつも注文している。サヤ マウ コピ(わたしはコーヒーが欲しい)コピ ラキ(コーヒーもう一杯)は覚えた。コーヒー屋のお姉さんが、笑顔で注文に関する言葉を教えてくれたので、僕も同じように発生してみたら、笑っていた。

 コーヒータイム中に出会った二人が、それぞれ魚の干物を生産している会社を経営している人だったため、コーヒータイムの後(と言ってもコーヒーがメインではなく、3時間くらい話した後)、魚の会社を見学。見学した場所は、インドネシア国内向けに生産されているようだが、インドネシア産の魚は日本にもよく輸出されているようだ。魚を洗う水槽、洗ったあとに茹でる水槽があり、敷地には網戸のようなものが一面に敷き詰められていた。乾燥した後は、魚の大きさを選別して、段ボール箱に詰める。かなり大きい敷地一面に小魚が敷かれていたのだが、このような風景はあちこちで見られる。それぞれ、決まった魚を干物にしているようで、もう一人の経営者は別の魚を干物にしていると聞いた。

 その後、バイクに乗せられ、移動。どこに向かっているのかよく分かっていなかったのだが、さっきのコーヒータイムで出会った人の家だった。彼は、タタカンのマスクを制作していて、家の敷地内は工房になっていた。(タタカンと彼らは言っていたが、調べても出てこないので、もしかしたら間違えているかもしれない。)彼の仕事は警官だと聞いていたが、たくさんの木材が置かれているし、工具もたくさんおかれている。警官は別の仕事もしていいのか聞いたが、問題ないと言っていた。大きいマスクは3人で動かすと言っていたので、たぶん獅子舞のようなもののことだろうと予測した。口と頭の所は獅子舞のように分かれていて動かせるし、中には目が赤色に光る仕掛けが施されているものもあった。それにしても随分怖い顔をしている。角は本物の羊の角が使われていた。

 これは作られている途中のマスクだ。これに羊の角を付けたりするようだった。他のものと比べても、かなり怖いマスクになっている。このマスクについて話してくれた。pocong(ポチョンという発音だった)というお化けの話だった。pocongはおそらくゾンビのような存在で、土葬された人間が現れるというもの。空中を浮いているらしい。詳しいことは分からなかったが、このpocongのことを人々は信じている。数年前には実際にpocongを見たという人が何人も現れ一大事件にまでなったらしい。聞いているときはあまり信じられなかったし、何を言っているのか分からない部分もあったのだが、ネットで検索すると、いくつか記事でてきたので本当のことのようだった。(知りたい人はこちらのニュース記事も見てください。https://news.detik.com/berita-jawa-timur/d-963525/pocong-kembali-teror-warga-tuban-dua-nenek-pingsan)問題は、偽物のpochogと本物のpochogがおり、偽物は人々を脅かして、慌てているすきに金品を盗んだりする人達がいたということだ。本物はおばけなので浮いているが、偽物は人間だから浮いていないとも言っていた。このマスクの制作者は、自分が実際に見た本物のpochonをモチーフにしてこのマスクを作っているようだ。これらのマスクを利用した、タタカンという伝統的な催しが23日行われるということなので楽しみである。

 夜になって、皆それぞれの家に帰ったから、一人で過ごしていたのだが、買い物できるところを探そうと思い外を歩いた。すると、楽器が置かれている家を見つけたので中を見ていると、いつもコーヒータイムのときに出会う人がいた。彼は英語が全く分からないので、僕の存在に少し慌てている様子だった。目が合うと手招きして入れてくれて、ジェスチャーで食事に誘ってくれた。彼は伝統的な人形を操ることが上手な人で、コーヒータイムの時に、パペットマスターだよと紹介されていた。彼のことが紹介されていると思われる新聞記事等が壁に貼ってある。それから楽器や人形などを見学した。僕が見学している間、彼は誰かに電話をしていたので、たぶんインポーを呼んでいるのだろうと思った。インポーは英語を喋れるし、たぶん皆、インポーが僕を世話をしている人だと考えているのかもしれない。彼は家の中で待っていてとジェスチャーで言っていたのだと思うが、一人でバイクで出かけてしまったし、モスクから歌が聞こえていたから礼拝に行くのだろうと思った。しばらく待っても帰ってこないから自分の部屋に戻ることにした。しばらくすると、スタジオに彼が来て、ご飯をどこからか買ってきてくれていたようだった。バイクの後ろに乗せてもらい、再び彼の家を訪問してご飯を食べた。

スプーンを用意してくれているが、手を洗う水も用意していたので、ここは手で食べるべきかと思い手で食べたが、彼はスプーンで食べていた。手だから簡単だろうと思ったが、思いのほか難しい。手のあちこちに米粒がついたりして、綺麗に食べることができない。指2本とか3本で食べるそうなのだが、5本使っても上手くいかなかった。
ちょうどケータイでコミュニケーションをとっているところを撮影してくれていた。

 ご飯を食べていると、インポーが来た。やはり彼を電話で呼び出していたんだなと思った。話を聞くと、彼とインポーとは親戚なんだと言っていた。食事をとっていると、次々に知った顔が集まってきたので、今度はここに集まるのかなと思っていたら、子どもたちまで集まってきていつもと様子が違う。どうやら、23日の祭りの話し合いのようだった。中学生くらいの男子たちが僕に興味を持ち、スマホの翻訳機能を使って、英語を試してきた。それで、しばらく会話。好きな食べ物は何ですか?インドネシアにはいつまでいますか?などの後に、ソーセージは好きですか?ソーセージを持ってきたら買いますか?と商売気がある。その後に、足のサイズは何ですか?と来たから、これはいったいどういう質問なんだと思い笑った。それから、バレーボールは好きですか?明日一緒にバレーボールをしませんか?と質問が来たので、明日の16時からやることになった。
 まだまだ話し合い等は続きそうな雰囲気だったが、蚊よけや酒を買いに行きたいとインポーに話していたから、そこを訪れていた若者に代わりに僕を店に連れて行ってくれるようインポーがお願いしてくれ連れて行ってもらうことになった。

 バイクの後ろに乗り、15分くらいは乗っていただろうか、けっこう遠いところまで連れてきてくれた。ビール等はやはり購入することができる場所は限られているようだ。薄暗い商店で店内には商品がたくさんあるのだが、ビールは置かれていないように見えた。店主のおばあさんに、小声でビールを注文してくれている。すると、店の奥から瓶をいくつか持ってきた。店内に酒は陳列しておらず、頼まないと出てこない仕組みのようだ。これだと知らない人は購入できなさそうだ。インポーもビールを買うことができる場所は知らないと言っていた。連れてきてくれた若者たちがなぜ知っているのかはよく分からないが、高校生くらいに見える彼らにとっては、ちょっとしたワルイ店なのだろう。ビールは二種類あって、それを2瓶ずつと、1便赤ワインを購入した。インポーも彼らにお金を渡して3本ビールを頼んでいたようだ。
 再びバイクで戻る。元いた楽器などが置かれている家に到着すると、ガムランや太鼓などの音が聞こえ、練習をしていた。しばらくそれを見学し、スタジオに戻った。

 スタジオに戻るとインポーがPhotoshopでデザインしていた。祭りのためのロゴのようなものを頼まれたらしい。ビールを一本開けて2人で飲んだ。かなり長い間しゃべっていたような気がする。しばらくすると、タタカンのマスクを制作している彼も来て、話が始まった。最後のほう僕はあまり記憶がない。2時頃解散。就寝。

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