嫌な夢で目が覚める。朝7時半。モスクから今日もスピーカーで大きな歌が聞こえてくる。しかし、いつまでたっても音が鳴りやまない。いつもと何か違う。だいたい1時間くらいで礼拝のための歌は終わるのだが、今日は2時間たっても歌い続けている。祭りか何か行われているのかもしれないと思い、一応マイクを装着したカメラを持って出かけることにした。昨日の夜、友達のワンウェイから電話があったが、みんな喋り続けていて気が付かなかったので、取ることができていなかった。せっかくだから周りの環境や、今流れている歌なんかを聞かせてあげようと思い、ビデオ通話をしながら出かけた。
音が聞こえるほうに近づいていくと、モスクからではなく、家からの音だった。庭先に大きいスピーカーが二台置かれていて、大音量で歌を歌っていた。その時は、何が置きているのか分からなかったのだが、後から聞いてみると、葬式のような儀式だったようだ。コーランを最初から最後まで読み上げるんだよと言っていた。全部読むには交代しながら丸一日かかるそうだ。ご近所の人にも助けてもらいながら歌を歌い続け、交代するタイミングでご飯をふるまい一緒に弔うそうだ。日本の葬儀は、とてもシンプルになってしまっていて、僕は前から納得できていない。うんこを流すように葬式をすると感じている。社会の道徳や倫理を定着させるには、葬儀はなるべく丁寧に行えるような社会に変わっていく必要だあると思う。祖母が亡くなったとき、全くの灰になった姿を見て、物質としては完全に消えて無くなったような気がした。土葬であれば、そういう風には感じないだろう。僕は、火葬か土葬かは少なくとも選べるべきだと思う。土葬で弔う場所では、きっといつまでも、亡くなった人の存在を感じるのではないか。火葬にして全て消してしまうから、きっと日本にはお化けも火の玉もいなくなってしまった。今滞在している地域は、土葬だし、葬儀も長い時間をかけて自宅で行われているので、今の日本の状況とは全く違うなと思った。コミュニティの繋がりの強さは、こういうところで養われているに違いない。日本は、全てが灰のようにライトな軽い繋がりであるからこそ、時折、公共性を損ねるような苦情が行われ、文化が縮小してきている。公園なんて誰も使うことができない。僕の故郷では、年にたった一度の除夜の鐘さえ、一人の苦情により廃止された。ここでは、いたるとこらから、毎日5回も、礼拝のための歌が大音量で流れている。誰も文句は言わない。この差は、信仰心の差だろうか。そうではないように思う。実際、ここには酒を飲むムスリムも多くいるのだ。
ワンウェイに、滞在先の施設や、道路の鶏や牛、それから海なんかを見せた。滞在先に戻って、約1時間くらい、たわいもないことを喋っていたら、Prewanganのメンバーの一人が、コーヒーを飲みに行こうと誘いに来てくれた。ちょうど喋っていたから、ワンウェイを彼に紹介した。ワンウェイは、僕が中国の重慶に行っていた時の親友で、僕が参加していたオルガンハウスというレジデンス施設のアシスタントキュレーターを当時はしていた。たぶん、ここの雰囲気と、重慶は合うと思うので、Prewanganも重慶に行ってみて欲しいと思った。
day6-1 ワンウェイ

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