Day6-1.「埋葬とお化け」

 朝7時半。嫌な夢で目が覚める。

 モスクからスピーカーで大きな歌が聞こえてくる。しかし、いつまでたっても音が鳴りやまない。いつもと何か違うのかもしれない。いつもは、だいたい1時間くらいで礼拝のための歌は終わるのだが、今日は2時間たってもまだ歌い続けている。祭りか何か行われているのかもしれない。記録すべきことが起こっているかもしれないので、カメラにマイクをセットし、出かける準備をした。昨日の夜、友達のワンウェイから電話があったが、パペットマスターの家でみんな喋り続けていて気が付かなかったので、取ることができていなかった。せっかくだからこの村の環境や、今流れている歌なんかも聞かせてあげようと思い、ビデオ通話をしながらスタジオを出た。

埋葬とお化け

 音が聞こえるほうに近づいていくと、モスクからではなく、一軒の家から出されている音だった。庭先に大きなスピーカーが二台用意されており、大音量で歌を歌っている。その時は、何が置きているのか分からなかったのだが、後からインポーに聞いてみると、葬式のような儀式だったようだ。コーランを最初から最後まで読み上げるんだよと言っていた。コーランを全部読むには交代しながら丸一日かかるそうだ。ご近所の人にも助けてもらいながら歌を歌い続け、歌を交代するタイミングで来客者にご飯をふるまい一緒に故人を弔うそうだ1

 日本の葬儀は、葬儀屋に依頼する場合がほとんどの為、日本に元々あった葬儀の方法はほとんど忘れ去られている。僕には、父が昔話していたことで記憶に残っていることがある。祖父が亡くなった時、家族で祖父の身体を清めたという話だ。父は髭を剃ったそうなのだが、次の日に祖父の髭が伸びていたという話だ。亡くなってからも髭はしばらく伸びるらしい。現在は、葬儀屋が全て故人の身支度などをしてくれるため、家族がすることは随分シンプルになってしまっていて、髭が伸びるというような気付きは、通常得ることができない。僕はシンプルな葬儀や火葬することについて、あまり納得できていない。うんこを流すように葬儀を行っていると感じてしまうからだ。社会に道徳や倫理を定着させるには、葬儀はなるべく丁寧に行えるような社会に変わっていく必要があると思う。祖母が亡くなったとき、全くの灰になった姿を見て、物質としては完全に消えて無くなったような気がした。土葬であれば、そういう風には感じないだろう。日本ではほとんど全員火葬になってしまうが、土葬で弔う場所のほうが、きっといつまでも、亡くなった人の存在を感じることができるのではないか。火葬にして全て消してしまうから、日本にはお化けも火の玉もいなくなってしまったのではないかと思う2

 今滞在している地域は、土葬だし、お祈りも長い時間をかけて自宅で行われている。今の日本の状況と違うなと思った。コミュニティの繋がりの強さは、このような家族を弔う儀式でも養われているに違いない。日本は、全てが燃えて灰のようになってしまい、ライトな軽い繋がりであるからこそ、時折、公共性を損ねるような苦情が行われ、文化が縮小してきているのではないか。公園なんて誰も使うことができない。僕の故郷では、年にたった一度の除夜の鐘さえ、一人の苦情により廃止された。ここでは、いたるとこらから、毎日5回も、礼拝のための歌が大音量で流れている。誰も文句は言わない。この差は、信仰心の差だろうか。そうではないように思う。実際、ここには酒を飲むムスリムも多くいるのだ。公共の捉え方、他者の捉え方の違いではないだろうか。それは、故人やお化け3のような存在をどう捉えるかということでもあると思う。

 友達のワンウェイとビデオ通話をしながら、滞在先の施設や、道路の鶏や牛、海に浮かぶ船などを見せた後、滞在先に戻って、約1時間くらい、たわいもないことを喋っていたら、インポーが、コーヒーを飲みに行こうと誘いに来てくれた。ちょうどワンウェイと喋っていたから、インポーを紹介した。ワンウェイは、僕が中国の重慶に行っていた時の親友で、僕が参加していたオルガンハウス4というレジデンス施設のアシスタントキュレーターを当時はしていた。Prewanganプレワンアンの雰囲気と、オルガンハウスは合うと思うので、インポーも重慶に行ってみて欲しいと思った。


  1. タールヒラン(Tahlilan)という東ジャワで独特の葬儀文化だったと思われる。仏教で言うところの、四十九日法要等の法事に似ている。コーランを全て読むのでイスラム教からの影響を受けた儀式だが、イスラム教にはこのような習慣はなく、否定している宗派もあるようだ。これは、東ジャワにあった土着信仰であるカピタヤン(Kapitayan)の影響があるからだと考えられる。カピタヤンはアニミズム的な一神教だったが、ヒンドゥ教、イスラム教がインドネシアに伝来すると、それらと融合してきた歴史がある。
    https://id.wikipedia.org/wiki/Tahlilan ↩︎
  2. 土葬になるか火葬になるかは、文化的、宗教的な背景で決まっている。イスラム教やキリスト教では、最後の審判を受けるとき遺体が無いと審判を受けることができず、天国に行けないという考え方が存在するため、今でもヨーロッパやアメリカでは土葬が多い。過去に罪人を火葬にしていたのは、復活できなくさせるという意味もあった。それと違い、仏教では、そもそも釈迦が火葬されており遺骨を分骨していたりする。また輪廻転生するため、肉体が滅んでも別の存在に生まれ変わるという考えがあるため肉体が滅ぶことが重要視されておらず、火葬が受け入れられやすい。しかし、日本の神道では火葬を禁じていたことがある。1915年で36%、1950年で54%が火葬だったそうだが、現在の日本の火葬率は9割を超えている。火葬が当たり前になったのは、ここ数十年の比較的新しい風習だと言える。世界的に見れば、これだけ火葬率が高いのは珍しい国だと言える。
    https://www.shizensou.net/essay/ronkou/doso-to-kaso.html
    https://globe.asahi.com/article/14849369 ↩︎
  3. この記事の前日にお化けについての話も聞いていたため、埋葬や幽霊などについて気になっていたため、このような内容になったと思う。
    https://java.terae.info/2024/11/14/day5-2/#pocong ↩︎
  4. 2006年にペインターの杨述(Yang Shu)と、キュレーターの倪昆(Ni Kun)によって設立された重慶のオルタナティブスペース。中国で最初期に設立された国際的なレジデンス施設。https://www.facebook.com/organhaus/ ↩︎