Day7-3.「サッカーW杯予選:インドネシア対日本」

熱狂するサッカーファンを見る

 いつもの海辺のカフェで、ワールドカップ予選インドネシア対日本の試合を観戦した。いつもはテレビは置かれていないのだが、カフェのオーナーがテレビを用意したようだ。客がテレビの正面にどこからかベンチを持ってきて設置している。Prewanganプレワンアンメンバーの一人がそのベンチに座るよう呼んでくれた。テレビの正面に座って観戦。試合の途中で後ろを見ると何人も立ち見がいた。

 試合は前半始まってすぐに何度か続けてインドネシアがゴール前までボールを運んだため、皆が熱狂的に叫んで盛り上がった。しかし、前半の終わりごろにインドネシアのオウンゴールで日本が先制。前半終了間際に追加得点を日本に入れられると、暗い雰囲気が流れた。ハーフタイムでは、なんとなく気まずい空気があったので早くインドネシアが一点でも取ってくれることを願った。インドネシアでは、バレーボールとサッカーが人気のようで、かなり熱の入った応援をしていた。「そうじゃない!違う!行け!」等と、たぶんそんなことを大きな声で言いながら観戦していた。日本でもスポーツバーなどに行けば、こういう雰囲気が楽しめるのかもしれないが、ここは、すぐ目の前に海が広がっているし、格別の観戦場所だったと思う。

普段このカフェは、夜は閉めている。
カフェの前にテレビを設置して屋外で観戦。
ダブルサイズのコーヒーカップ

 お客はみんなカフェで飲み物を頼んでいるので、カフェのお姉さんは、せっせと飲み物を提供している。2、30人はいたので大変そうだ。僕も、ハーフタイムにコーヒーを頼んだ。「サヤ マウ コピ。タンパグルゥラ。(コーヒー下さい。砂糖抜きで。)」 といつものように注文。すると、いつもと違うことを言っている。大きいカップと、小さいカップを持ち出してきて、ジェスチャーで、どちらにするか聞いてきた。僕は、いつもコーヒーの二回注文していたから、大きいサイズを聞いてくれたようだ。大きい方のカップを指して「ジャンギル」とお姉さんが言った。大きいサイズのことをジャンギルと言うのか、コップの種類のこと言っているのか分からなかったが、僕も「ジャンギル!」と言って親指を立てた。コーヒーを受け取ったときは、形がいつもと同じようなカップなのでサイズの違いが分からなかったが、隣の人のコーヒーカップと比べると、一回り大きい。「そのコーヒーは、ノーマルではない。たぶんスペシャルなやつだ。そんなのは見たことがない。」と言われた。

普通は、右の小さめのカップで提供されている。
スポーツとアートの違いを考えることは無意味

 試合は0対4で日本が勝った。スポーツはいつも人々を熱狂させるから凄い。僕は長い間テニスをしていたので、テニスを辞めて美術を始めた頃は、美術とスポーツは人を感動させるという意味ではきっと似たようなものだろうと純朴に思っていた。しかし、今となってはその気持ちは完全になってしまった。ただただスポーツの熱狂を羨ましく見ている。そして、美術の良さはたぶんそのような直接的な分かりやすいものではない。そこではないと思っていたが、ここに滞在していると、そうとも言い切れないのかもしれないなと、昔の純朴さが蘇ってくる。なぜかと言えば、Prewanganプレワンアンというアートコレクティブと地域のコミュニティはほとんど一体になる場合や、かなり重なる部分があるからだ。このサッカー観戦だって、彼らにとってはアートの活動と何等かの形で関係してくる可能性があるかもしれない。それは、彼らにとっては当たり前のことで、意図的にしていることではない。単なる日常だ。この村の人達を見ていると、アートとアートでないものの境界を考えても、ほとんど何の意味もないことだと改めて思う。