空港の外に出たら、名前を持った人が着てくれていて、ホテルまで連れて行ってくれると聞いていたが、誰も向かえが来ていない。レジデンスのスタッフに連絡。ホテルシャトルと書かれた看板の指示に従えば良いという。しかし、看板の指示に従っても行き止まりになった。飛行場で働く人に聞いてみると、看板が指している方向と逆のほうを指差して、あっちだと言う。それで逆方向に行くと、確かに別のホテルシャトルの看板があった。結局看板を見てもよくわからないので、再び別の人に聞くと、今度は2階に上がれと言う。また別の人に聞くと、ホテルに電話しろ言う。まあ、確かにこれは適切なアドバイスであった。SIMカードが無いので電話できないから、レジデンスのスタッフがホテルに連絡してくれた。1時間くらいたってようやくホテルに到着。
レビナスという人が、語られたことと、語ること、という二つについて述べている文章があって、語るためには、語り続けなくてはならないと言っている。語り続けることは倫理的なことだとも言っていて、僕にはしばらくの間、何を言っているのか訳が分からなかったわけだが、これは、分からないことを、分からないまま話すことが倫理的だと言っているのかもしれないと理解した。知っていることを、知っているまま話すことは倫理的ではないと言っているわけだ。
例えば、最近戦争について何か発言することは、なんとなく難しく感じるのだが、これは、僕がその戦地の歴史や宗教、政治模様などについての知識がないために、語りにくいからだ。間違ったことを言いづらいと考えてしまう。考えている途中のことを発言させない空気があるからこそ、倫理的ではなくなっているとも言えるのでは。と思う。
その点、空港で道を教えてくれた人たちはみな、知らない道を指さして、笑顔で教えてくれた。僕はこれに悪意を感じない。間違っているけれど、とにかく教えてくれようとしたことは、分からないことを分からないまま話すことと似ていると感じるからだ。倫理的とは、こういうことを言うのかもしれない。と思った。
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