day11-1 DIYワクチン

滞在記

 13時過ぎ。コーヒーショップへ。昨日と違う位置に船が移動していた。きっと漁に出たんだなと思った。何人かでいつも通り輪になって話をしている。

 昨日の夜インポーに遠くまで連れて行ってもらったとき街の様子を観察していたが、いたるところで輪をつくって話をしていた。ここの建物のデザインは、玄関先が広くタイル張りになっていることが特徴だ。あるいは中庭のような場所が設けられている場合もある。数名がくつろげるようなスペースが用意されておりタイル張りになっているため、そこで寝そべったりできるようになっている。そういう場所をよく箒で掃除している姿を見るから、どこも清潔に保たれているし、そこで過ごしている人達は、ゆったりとした時間を過ごしているように見え、優雅だ。こういった場所で、輪になり談笑している姿をよく見るが、それはカフェの前も同じだ。

 みんな今日も大きな声で良く喋っていたので何の話をしていたのか後から聞いてみると、フェスティバル等を行う際に、ここでは中国と同じように警察へ届け出る必要があり、その時にお金を払う必要があるという話をしていたそうだ。それから自転車等を盗まれて、それが見つかって警察に撮りに行く場合も、警察にお金を払って引き取るらしい。そのことに対する意見を交わしていたようだった。

 その後、初めて会った人がコーヒーショップに訪れ挨拶をした。彼は獣医らしく、英語も難しい単語を知っていた。それで、僕が鶏のことを知りたがっていると、インポーが紹介してくれ、いくつか話を聞くことができた。鶏インフルエンザや口蹄疫についてだ。その視点はなかったから、聞けて良かった。この街では、年に2回鶏インフルエンザになる可能性があるらしい。ドライからウェット、ウェットからドライに変わる季節の2回だ。そしてちょうど今が雨季に差し掛かっており、鶏インフルエンザの時期だそうだ。ここの鶏は、自由で自然で伝統的な育て方をしているため、飼育小屋に入っているのではなくあちこちに行くから、糞などもあちこちにあり、それを媒介してウィルスが広まっていくとたぶん彼は言っていた。このような飼育方法は珍しいし、伝染病の危険性もあるが、これは文化とも結びついているから仕方がない。というような話をしていたと思う。文化と結びついているというのは僕の観察によるものと同じ意見であった。それから、ワクチンについての詳しい方法なども彼はよく知っていて、その大変さや、政府が助成していたことなども話してくれた。ここでは、ワクチンを打っている鶏はほとんどいないのだと思う。ワクチンは点眼や注射など、いくつかの工程があるようだったし、ワイルドチキン達を捕まえるのは用意ではないため、一匹ずつワクチンを打つのはかなり大変そうだと思った。また、ワクチンを打っても既にウィルスを媒介していた場合、ワクチンは意味がないため、なかなか政府が助成しても広まらなかったようだ。日本では一匹でもウィルスを持った鶏が発見されると全て処分される。彼はそのことも良く知っていた。ここでは処分されることはない。何匹かは生き残り、何匹かは死ぬ。2020年くらいに口蹄疫も流行ったことがあったそうだ。その時も、殺処分はしていない。牛のオーナーは、牛の体調がよくなるよう面倒を見たそうだ。しかし、口蹄疫の知識がないために、とにかく自分ができるケアをしてみるというDIY的な精神で取り組んでいたそうだ。中にはガソリンを足に塗ったりなど、かなりラジカルなケアの仕方もあったようだが、原因や治療法が分からないのだから、とにかく何が効くか分からないのだから試してみるという精神だったのだろう。それで、何匹かは回復し、何匹かは死んでいった。そうなると、ワクチンの意味や殺処分の意味がないではないかという気持ちがわくことはよく分かる。数匹は生き延びたことでウィルスへの抗体を得ただろうし、環境に身体を合わせて強い身体になったに違いないからだ。

 獣医の彼とPrewanganはワークショップを共同で開催したこともあるそうだ。動物がケガをした時などに塗ることができる薬を、この街で手に入る物でつくるワークショップだったと言う。昨日少しだけ、コラボレーションやコレクティブについての話をインポーから聞いたが、その時はあまり理解できなかった。彼はそれをあまりにも自然にやっているのだと思う。口蹄疫などの話の後にこのワークショップの話を聞いたため、地域の問題解決などもコレクティブの活動の中に含まれる場合があるのだろうと察した。それで、もしかしたら、日本で言うところの、田舎にある狭いコミュニティにおける町内会のような状態でコレクティブも物事が進んでいるのかもしれないと思った。

 ここではDIY的な精神を全ての人が持っているように思われる。昨日も電線が垂れて家の屋根に引っかかっているのを取り除くために、竹を組んで電信柱を立てていた。それを、一人の大人が子ども達に声をかけ手伝わせ、ものの数分で、あっという間にできてしまっていた。彼らはアーティストではないかもしれないが、生きる力に溢れており、アーティストが本来持つべき生活を豊かにする際のDIY的な性質も持っている。僕は、ここの人達はみなアーティスト的な性質を持っており、境目がよくわからなくなることがある。それで、インポーにあなたのアートとこの街の人達の生活は、どのように違うと思うか聞いた。彼が答える前に僕が、あまり違いがないように思うと言ってしまったため、正確な意見は聞けなかったが、彼も同意していた。僕は自分がしてきたことがアートかどうか全然気に留めてこなかったし、家庭菜園やバーベキュー、友との語らい、この記事、あるいは日々の生活等、アートとは思われにくいことも、全てアートのつもりでやってきた。僕は、美術のことを芸術学部等で専門的に学んだわけではない。僕のしていることは、アートではないのかもしれない。昔、伊王島でカトリックを信仰している人に、君の信仰は何かと聞かれたとき、アートと答えたことがあった。ここでも一度そう答えたことがあったが、たぶんそうなんだと思う。展覧会として出品する作品はアートかもしれないが、そんなことよりも大事なことがあるような気がしている。

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