12時頃インポーがスタジオに来た。カフェに行くけど来たかったらおいでと、いつもと違う誘い方をする。僕はちょうどこの前たくさん購入していたIndomieを食べていたから、分かったと言ってスタジオに残った。午前中から数日前の滞在記に取り組んでいて、それが一段落したところでカフェへ行った。
鶏が気になっている
カフェに到着すると、今日はどんな予定かとインポーが聞いてきた。3日前にイスラミックスクールに招待されていたが、今日行く予定ではないのかと尋ねる。しかし、連れて行ってくれる人が仕事だから今日は中止になったようだ。それで、今日は何をするかと再度聞かれた。特にない。しかし、制作のアイデアを考える時間が必要だと言った。インポーは、一人の時間が必要かどうか聞いてくれた。いつもとコーヒーの誘い方が違ったのは、それを気にしてくれていたからのようだ。僕はしばらく考えて、Prewanganの庭にいる鶏が誰のものか尋ねた。まだプランがはっきりしていないので今まで話していなかったが、実は、滞在が始まった最初から鶏が気になっている。
村にいる三種類の鶏
この村の鶏にはいくつかの種類がいる。ワイルドチキンと、ファイターチキン、それからノーマルチキンだ。ワイルドチキンは少し小柄で、黒っぽい羽を持っていることが多い。ノーマルは太りやすく肉や卵のために育てられる。ファイターチキンは鶏同士を戦わせる競技のための鶏だ。時々、いかにも卵を産みそうな白くて赤いトサカを持った鶏もいるが、この村の鶏達は、ほとんどがシャモ系だ。そのため、僕には全部戦えそうな鶏に見えて、3種類の見分けがつかない。オスでもトサカが小さい品種がいるため、オスかメスかさえ判別がつかない場合もある。
この3種には学名があるはずだが、インポーも僕も簡単な英単語しか知らないため、ワイルドとかファイターとかそういう言い方でしか会話ができない。そのため、ワイルドチキンは野生の鶏だと誤解していた。ほぼ全ての鶏が放し飼いになっているので、みんな野生に見えるからだ。ワイルドチキンとインポーが呼ぶ鶏はどれも小柄で地味な鶏だ1。どの鶏も、自由に道を歩いているので、誰かが飼っているようには見えず、どういう行動をとっているかずっと気になっている。
何かが動き出す
何か意見や行動を起こすと、急に話が展開し始めることがある。カフェには鶏を飼っているというインポーの知り合いがちょうどいて、話をつけてくれた。今日の17時に鶏を見に家を訪問して良いことになった。今日の予定が突然決まった。

そのまましばらくカフェに滞在したが、僕を気に掛けてくれる時以外は、いつもジャワ語なので僕には話の内容はほとんど分からない。話しぶりから推測し続けるのは、けっこうな集中力が必要で、急に眠くなってきてカフェで転がった。隣でチェスをしたり、スマホゲームのモバイルレジェンドを楽しんでいる人達がいる。僕も誘われたので少しゲームをしてスタジオへ戻った。

木に登るワイルドチキンを見学
17時。鶏の見学に行く。鶏のことについて、飼い主にいくつか質問ができた。放し飼いになっているが、考えていたのとは違い単に飼われているだけのようだ。それを聞くと、作品のテーマにできるのか若干不安な気持ちになってきた。僕には鶏の飼われ方が、この村の社会を表わしているように見えている。しかし、猫等のペットを放し飼いにするのと何が違うのか分からなくなってきた。
放し飼いの猫と鶏は似ている。猫は放し飼いにしても、必ず家に帰ってくるのだが、鶏も家に帰ってくるらしい。見学した家で飼われている鶏はワイルドチキンで、家から15メーターくらいの範囲で常に行動していると言っていた。縄張りのような意識があり、決まった範囲の中だけを歩き回っているらしい。これも猫と非常によく似ている。猫と違う点は、一匹ではなく集団行動をしている点だ。他の種類の鶏は一人で歩いているところを見たことがあるが、ワイルドチキン達はいつも集団行動をしている。また、食べたり、売ったりすることができる点は大きく違う。
17時を過ぎると、鶏達が家に帰ってくるので、もうすぐだと飼い主が言う。米つぶの餌をあげたりしながら、しばらく鶏を観察した。
17時過ぎ、マグリッドタイムを知らせるアザーンがモスクから響き始める。それまで地面を歩き回っていた鶏達が、一斉に木に登り始めた。この家で飼われている鶏は木の上を家にしている。毎日決まった時間にみんなで木に登って寝るそうだ。ワイルドチキンは少し高い場所を選んで寝る習性があるそうだ。
鶏を使う儀式の話
他にも鶏に関する話を聞いた。地鎮祭や葬儀で鶏が必ず使用されるそうだ。
地鎮祭では、柱や玄関、屋根など家の重要なパーツを作る時に毎回行われるそうで、来客者に調理した鶏等を振る舞う。また鶏の頭や手羽先、足などを地面に捧げお祈りする。葬儀では参列者が生きた鶏を一匹ずつ持参し、墓地にそのまま放つという風習がある。その鶏のことをインポーはフリーチキンだと説明してくれたが、そこで放たれた鶏は誰かが飼うわけではないため、墓地から適当な鶏を持ち帰る人もいると言っていた2。フリーチキンは家から連れ出され家を失うので、野生化して本当のワイルドチキンになっているに違いないと想像した。また、出産祝いでは男の子の場合はオスの山羊が2匹。女の子の場合はオスの山羊が1匹。頭を落として捧げられるという話も聞いた。
ペットと何が違うのか分からなくなってきて自信を失っていたが、儀式の話を聞いて自信を取り戻した。鶏の飼われ方がこの村の社会を表しているという僕の勘は、的外れではないように思う。それに、モスクから聞こえてくるアザーンと共に、一斉に鶏たちが家に帰っていくことも、偶然にしては出来過ぎている。鶏の見学のために集まってくれた人達も、アザーンと共に礼拝のため、それぞれの家へ戻っていったからだ。それを見て、これは…絶対に鶏を作品にすべきだと改めて思った。しかし、だからと言って作品にできるアイデアはまだない。
- 日本でも地鶏と表示するためには放し飼いが必要で、一般的な養鶏法の一つだ。これをインドネシア語ではAyam Kampung(放し飼いの鶏)と言うが、Ayam Kampungで画像検索をすると多様な品種が出てくる。その中に、ソボントロ村にいたワイルドチキンと似た形の鶏を確認できたが、品種は確認できなかった。Ayam Kampungは高く売れるため、ビジネスとしても人気があるようだ。
https://satotas.com/ayam-kampung-eggs/
https://inakoran.com/ternak-ayam-kampung-penghasil-uang-di-desa/p34677 ↩︎ - 葬儀で動物を放つような習慣はイスラム教のものではない。おそらく、ジャワに昔からある土着信仰であるカピタヤンかヒンドゥー教由来のものだと考えられる。ヒンドゥー教では、山羊や鶏をいけにえする祭礼が行われているが、放つわけではない。ジャワの人々にとっては、過去の宗教の影響を厳密に避ける意識はなく、イスラム教徒境目はなく融合しているため、イスラムの葬儀の一環としてこの習慣が続けられていると思われる。https://note.com/masa_kamejikan/n/n83c00cdbedd2#:~:text=%E5%B1%B1%E7%BE%8A%E3%82%84%E9%B6%8F%E3%82%92%E7%94%9F%E8%B4%84%E3%81%AB%E6%8D%A7%E3%81%92%E3%82%8B ↩︎