day18 うんこの仕方

滞在記

 滞在3日目に、初めてインドネシアの一般的なトイレを使うことになり、正しい使い方が分からなかったので聞いたことがあった。そのときは、トイレをした後にタバコを吸うという説明がされ、結局分からず仕舞いになっていたが、昨日それがついに解決した。

 うんこの仕方についての話を聞いたことから、インポーがトイレにうんこの仕方を描くのはどうかという提案をしてくれた。

 13時頃にいつものようにカフェへ行き、ノートにインポーと2人でスケッチを描いてみた。インポーが僕の絵をスタジオに残したいから、デザインは考えてくれと言うので、少しカワイイ感じを出そうと思い、鶏をキャラクターにすることにした。この街では鶏は放し飼いなので、どこでも好き勝手にうんこをしているに違いないのだが、そんな鶏にうんこの仕方を説明させることで、これからこのトイレを使うであろう外国人アーティスト達には、しっかりと、うんこについて考えてもらう時間をPrewanganのトイレでつくって頂きたい。

 日本のトイレは、場合によっては一度も自分のうんこを終始確認せず、きれいさっぱりと終わらすこともできてしまうが、それは、良くないことではないかと前々から思っている。汚いと各自でかってに思うことは良いのだが、人間が自然の一部であることを教えてくれるのは、自らの身体で唯一生産している、うんこではないのか。人間も動物なのだから、もともと自然の一部だと考えることができるなら良いが、都市部などでは身の回りを見渡しても、全て人工物で埋め尽くされている。街路樹だって、人間が意図的に埋めたものであり、本来の姿はしていないはずだ。もはや、われわれが日常の中で唯一見ることができる自然物は、自らのうんこしかないのである。日本のトイレは、死体を火葬し、灰にして何も無かったかのようにすることと、全く同じことをしていると思う。無かったことにすれば、衛生的かもしれないが、あまりにも無菌状態で不自然だ。不自然なことは、社会に病的な何かを誘発しているに違いない。これは、単にトイレの話ではない。汚いものを見なくて済むようにする仕組みは、ストレスの多い社会を作っている源流であり、小さなうんこが、大きな社会問題に繋がっていると考えたって良いはずだ。下水の技術は衛生的な社会を維持するために大事なことだ。それは分かる。僕も流す。しかし、せめて、うんこは見て流せ。そしてできれば、心のなかで、ウンコを土に返すのだ。

 礼拝の時間が終わり、午後8時頃にインポーがスタジオに再度顔を出した。壁に鉛筆で下書きをして、白いペンキで壁に描く。狭くて2人同時に描くのは、難しかったので、僕がイラストを描き終えた後で、インポーが文字を書いた。久しぶりに壁に絵を描いた。英語で説明の文字を入れたのだが、2人とも英語は完璧ではないため、Google翻訳も用いて書き入れる。初めての人にとっては、トイレのどちら側を向いて使うかということも重要なことなのだが、この説明文が以外と難しい。インポーが「トイレの穴の横に両足を置く」というのを考えたが、それではどちらの方向を向くのか分からないと僕が言った。僕が「壁を背にして座る」と言うと、それは違うとインポーが言う。それで結局、「お尻の穴とトイレの穴を合わせるようにして座る」という説明文を思いつき、笑った。採用。

完成。

なぜ空き瓶が落ちているのかは不明。あまり深く考えないほうが良いこともある。成り行きに任せ自然と一体になりたいので、これを放っておくことは僕の得意分野。
最初に、下着を脱いでしまうというポイントが意外と見落とされる。また、最も重要であるお尻の洗い方については一番大きめに図解した。
文字を書くインポー。彼は、壁画の仕事をしていたこともあるそうなので、きっと得意なんだと思う。

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