インドネシアで初めてのコラボレーション?
滞在3日目に、初めてインドネシアの一般的なトイレを使うことになり、正しい使い方が分からなかったが、インドネシアに来て2週間が経過してようやく正しい使い方が分かった。昨日の夜、インポーと話していてついに解決したのだが、それがきっかけで、Prewanganのトイレの壁にトイレの使い方を描くのはどうかと提案してくれた。
13時頃いつものカフェへ。持っていたノートにインポーと2人でアイデアスケッチを描く。インポーが、イチローの絵をスタジオに残したいからデザインを考えてくれと言った。それで、少しカワイイ感じを出そうと思い、トイレの使い方を説明するキャラクターを鶏にしてみた。この村の鶏は放し飼いなので、どこでも好き勝手にうんこをしているが、その鶏に正しいうんこの仕方を説明させてみる。
迷走。うんこについて考える。
日本にいると考える機会がないが、トイレの使い方が分からなかったり、不自由に感じると、うんこそのものについても考えてしまうものだ。日本では、場合によってはトイレが全て自動でやってくれるため、一度も自分のうんこを終始確認せず、きれいさっぱりと終わらすことができてしまう。僕は、それは良くないことではないかと前々から思っている。汚いと各自でかってに思うことは良いが、人間が自然の一部であることを教えてくれるのは、自らの身体で唯一生産している、うんこではないのか。
もちろん、うんこについて真剣に悩む必要はない。それに、人間も動物なのだから、もともと自然の一部だと考えることができる。しかし、都市部では身の回りを見渡しても、全て人工物で埋め尽くされている。街路樹だって、人間が意図的に埋めたものであり、本来の姿はしていないはずだ。もはや、我々が日常の中で唯一見ることができる自然物は、自らのうんこしかないのである。
うんこを心で流す
日本のトイレは、死体を火葬し、灰にして何も無かったかのようにすることと、全く同じことをしている。無かったことにすれば、衛生的かもしれないが、あまりにも無菌状態で不自然だ。不自然なことは、社会に病的な何かを誘発しているに違いない。これは、単にトイレの話ではない。汚いものを見なくて済むようにする仕組みは、ストレスの多い社会を作っている源流であり、小さなうんこが、大きな社会問題に繋がっていると考えたって良いはずだ。下水の技術は衛生的な社会を維持するために大事なことだ。それは分かる。僕も流す。しかし、せめて、うんこは見て流せ。そしてできれば、心のなかで、うんこを土に返すのだ。
トイレの使い方を説明する

午後8時頃。礼拝の時間が終わりインポーがスタジオに再度顔を出した。プランを見せた後、壁に鉛筆で下書きをした。白いペンキで鉛筆をなぞっていく。狭くて2人同時に描き続けるのが難しかったので、僕がイラストを描き終えた後で、インポーが文字を書いた。久しぶりに壁に絵を描いた。
使い方を説明する文字を英語で入れたのだが、2人とも英語は完璧ではないため、Google翻訳も用いて書き入れる。初めてインドネシアでトイレを使う人にとっては、トイレのどちら側を向いて使うかということから説明しなくてはならない。これは重要なことなのだが、これをどう文章にしたら良いのか説明が難しい。インポーが「トイレの穴の横に両足を置く」というのを考えたが、それではどちらの方向を向くのか分からないと僕が言った。僕が「壁を背にして座る」と言うと、それは違うとインポーが言う。それで結局、「お尻の穴とトイレの穴を合わせるようにして座る」という説明文を思いつき、笑った1。採用。
完成。



- 壁画内に書かれた、うんこの仕方の訳
1下着を脱ぐ
2お尻の穴をトイレの穴の上に置く
3この姿勢で時間を楽しんでください
4右手で柄杓を取り水を汲み、左手でお尻の穴を水で洗う。お尻がキレイになったと感じるまで続けます。
5トイレの流し方
柄杓に水を汲み、トイレの穴に水を落とし、キレイになるまで続けます。
6おめでとうございます。ミッション完了。 ↩︎ - 壁画内に書かれた、うんこの仕方の訳
1下着を脱ぐ
2お尻の穴をトイレの穴の上に置く
3この姿勢で時間を楽しんでください
4右手で柄杓を取り水を汲み、左手でお尻の穴を水で洗う。お尻がキレイになったと感じるまで続けます。
5トイレの流し方
柄杓に水を汲み、トイレの穴に水を落とし、キレイになるまで続けます。
6おめでとうございます。ミッション完了。 ↩︎