インドネシアに昔からあったカピタヤン(Kapitayan)という宗教とイスラム教をミックスさせ、ジャワでイスラム教が信仰されるようになったのは、スナン・ボナンという人と、その家族達からの影響がある。彼らにはイスラム教を布教させるミッションがあったようだ。
僕の作品制作の方法では、何かに近づくということがテーマになることがある。なので、今回のような滞在型の制作では、地域や人々に近づこうとすることが多い。ジャワに到着して2日目には、ジャワの文化や人々に近づくためには、イスラム教について知る必要があると思った。それで、インポーにも何度かイスラム教について質問をしている。その話の中で、スナン・ボナンという名前が出てきたのだが、ジャワのイスラム教について知りたいなら、彼について調べてみると良いと言われた。スナン・ボナンの墓はTuban市にあり、今でも大切に保存されている。僕の滞在している村から車で1時間くらいの場所にあるため連れて行ってくれることになった。
聖人の墓へ訪れるため、同乗者はみんなサルーを身に着けて車に乗った。僕はサルーが気に入っている。簡単に身につけられる上に、正装だということや、韓国や日本ではスカートのような履物はなかなか身に着けることができないこと、それから涼しい感じがするということ、みんなと同じ服装ができて嬉しいことなど、いくつかの点で気に入っている。今はPrewanganのメンバーに借りているサルーを使っているので、帰国前にサルーを買えると良いなと考えている。
ときおり、車内に流れているインドネシアの音楽に合わせて歌ったりしていたが、車で何の話をしたか覚えていない。
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ようやくTubanの市街まで来た。車を止めてカフェに入る。墓へ行く前に、グラフィティのコレクティブと会う約束があるようだ。コレクティブのメンバー達と握手。5人くらいいただろうか。このカフェのオーナーもコレクティブのメンバーだそうだ。カフェの壁にもいくつかグラフィティがある。僕がスナン・ボナンの墓に行くために来たことを皆知っているから、イスラム教の話をしているようだった。スナン・ボナンはカンボジアで生まれ、中国でイスラム教を学び、インドネシアに来たとか、ヒンドゥや仏教は王様達のものだったが、市民はカピタヤンを信じていた、カピタヤンとイスラム教は似ているところがあったなど、いろいろな話をしていたようだ。
2時間くらい話したところで、急にアザーンが流れ始めた。今までに聞いたことがないほど大きな音量で流れ始める。目の前で話している人の声が聞き取れないほどの音量だ。カフェの道向かいにあるモスクからのものだった。マグリッドタイムを知らせるアザーンが鳴り終わると、話していた1人がモスクへ行った。そして、しばらくしてもう1人。話している最中でも、礼拝を優先する人達がいるということを横目で観察。僕は、彼らが礼拝している間もインポー達と話していたが、数分後に礼拝から帰ってくるのと入れ代るように、インポーもモスクへ行った。インポーは自分のことを不真面目なイスラム教徒だとよく言うのだが、そんなことはなさそうだ。
インポーが礼拝に行っている間も、僕は日本のヤクザやグラフィティについての質問を受けていた。ヤクザについての質問は何日か前にもされたことがある。なぜヤクザの質問がこんなにあるのかよく分からないが、その質問がある度に、セガの龍が如くをお勧めしておいた。このゲームはヤクザを題材とした超大作ゲームだ。すでに8まで発売されている。ヤクザについて知るにはこれが一番気軽だと思うし、日本の政治模様や文化についても知ることができる。また近作では最近の政治でもよく使われている動画配信サービスなどの問題点にも触れているし、ポリティカル・コレクトネスに配慮した内容にも変更されてきており、最近の日本についてや文化についても知ることができてお勧めだ。
インポーが礼拝から帰ってきた。どうやらようやく墓へ向かうようだ。
墓の近くまで車で移動し、車を降りた。アーケードになっている道を歩く。少しすると、人だかりができていた。たくさんの人が墓を訪れているようだ。人がたくさんいる方向へ僕たちも進んでいくと、急にたくさんの出店が見えてきた。聖地だが観光地のような雰囲気があり、食べ物や土産物も売られていて、福岡の大宰府天満宮を思い出す。しかしすぐに、道の両サイドに隙間なく墓が現れ、違う様子になってきた。ここは土葬なので、一人ひとりに墓が用意される。この一番奥にスナン・ボナンの墓があった。

スナン・ボナンの墓には屋根が設置されていた。床には石のタイルが敷かれており、かなりキレイに掃除されているようだ。靴を脱ぎ中へ入る。広い空間の中にはさらに屋根が設置されており、そこがスナン・ボナンの墓のようだ。立ち上がることができないくらい低い屋根の下に座って、たくさんの人達がコーランを読んでいた。僕にはアザーンとコーランはどちらも同じような歌に聞こえるので違いが分からないのだが、あれはコーランを読んでいるんだよと教えてくれた。
天井が高く、たくさんの人のコーランを読む声が響く。カトリック教会のミサを訪れたときも思ったが、神聖な場所での人々の営みは、美しく見えるものだ。それを黙って聞いていると、豪雨が降ってきた。天井はあるが、壁は設置されていないため、豪雨の音が響き渡っている。雷も落ちた。コーランは読まれ続けている。なかなか凄い状況である。
天井で響く雨の音を、屋根を見上げながら聞いていると、そういえば、屋根の上に屋根が設置されているなと気が付く。インドネシアには雨季があり、豪雨が降る。古い墓石は、雨の影響で風化し溶けてるので、おそらくスナン・ボナンの墓が風化するのを防ぐために、屋根が設置されたのだなと思った。墓の上に建っている極端に低く設計されている屋根も、横から入ってくる雨風をしのぐための設計だと考えれば、納得いく。この一風変わった低い屋根も保存すべき対象となった為に、この高い天井の屋根を作ったのだろう。と、かってに考え一人で納得した。保存のために二重になった屋根は、きっといつの日か三重にもなるんじゃないかと想像した。そういえば、相撲の土俵にも屋根があるが、あれはどういう意味なんだろうかと他のことまで考え出す。
雨に打たれながら車に戻った。帰りの車内で、この道はオランダがインドネシアを植民地にしていたときに作った道だよと教えてもらった。
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