Day16「スナン・ボナン」

9聖人の1人 スナン・ボナン

 僕の創作では、何かに近づくということがテーマになることがある。特に滞在制作では、地域の歴史や人々の生活に近づこうとする場合が多い。今回もジャワに到着して2日目にはすでに、ジャワの文化や人々に近づくためには、イスラム教について知る必要があると考えていた。そのため、インポーにも何度もイスラム教について質問をしている。その話の中で、スナン・ボナン1という名前や聖人2について聞いたことが数回あった。ジャワのイスラム教について知りたいなら、スナン・ボナンについて調べると良いと言われていた。スナン・ボナンの墓は、トゥバンで今も大切に保存されている。

 ジャワ島の土着信仰のカピタヤン3は、仏教やヒンドゥー教、イスラム教など様々な宗教と融合し形を変えて今も残っている4。カピタヤンとイスラム教を融合させ、ジャワでイスラム教が信仰されるきっかけを作ったのが、スナン・ボナン達によるものだったらしい。

聖人の墓参りにはサルーが必要

 そのスナン・ボナンの墓へ、インポーの車の運転で向かった。

 聖人の墓へ訪れるため、同乗者はみんなサルーを身に着けて車に乗った。僕はサルーが気に入っている。簡単に身につけられる上に、正装だということや、韓国や日本ではスカートのような履物はなかなか身に着けることができないこと、それから涼しい感じがするということ、みんなと同じ服装ができて嬉しいことなど、いくつかの点で気に入っている。今はPrewanganプレワンアンのメンバーに借りているサルーを使っているが、帰国前にサルーを買うチャンスがあればと思っている。

グラフィティのコレクティブ

 1時間以上運転して、ようやくトゥバン市街まで到着した。車を止めてカフェに入る。墓へ行く前に、グラフィティのコレクティブと会う約束があるようだ。コレクティブのメンバー達と握手。5人くらいいただろうか。カフェのオーナーもコレクティブのメンバーで、メンバー達の溜まり場になっている。カフェの壁にもいくつかグラフィティがあった。

TOKO KOPI Mantab Djayaというカフェ

 僕がスナン・ボナンの墓に行くために来たことを知っているため、みんなイスラム教やスナン・ボナンの話をしているようだ。スナン・ボナンはカンボジアで生まれ、中国の雲南でイスラム教を学び、インドネシアに来たとか5、ヒンドゥや仏教は王様達のものだったが、市民はカピタヤンを信じていた、カピタヤンとイスラム教は似ているところがあったなど6、いろいろな話をしていたようだ。

真面目なムスリム

 2時間くらい話したところで、急にアザーンが流れ始めた。今までに聞いたことがないほど大きな音量で流れ始める。目の前で話している人の声が聞き取れないほどの音量だ。カフェの道向かいにあるモスクからのものだった。マグリッドタイムを知らせるアザーンが鳴り終わると、話していた1人がモスクへ行った。そして、しばらくしてもう1人。話している最中でも、礼拝を優先する人達がいるということを横目で観察。僕は、彼らが礼拝している間もインポー達と話していたが、数分後に礼拝から帰ってくるのと入れ代るように、インポーもモスクへ行った。インポーは自分のことを不真面目なイスラム教徒だとよく言うのだが、そんなことはなさそうだ。

ジャワ島で龍が如くをおススメ

 インポーが礼拝に行っている間も、僕は日本のヤクザやグラフィティについての質問を受けていた。ヤクザについての質問は何日か前にもされたことがある。なぜヤクザの質問がこんなにあるのかよく分からないが、その質問がある度に、セガの龍が如くをお勧めしておいた。

 龍が如くはヤクザを題材とした超大作ゲームだ。すでに8まで発売されている。ヤクザについて知るにはこれが一番気軽だと思うし、日本の政治や文化についても知ることができる。また近作では動画配信サービスを利用した政治活動や、フェイクニュースなどの問題点にも触れているし、ポリティカル・コレクトネスに配慮した内容にも変更されてきており、最近の日本についてや文化についても知ることができてお勧めだ。

 インポーが礼拝から帰ってきた。どうやらようやく墓へ向かうようだ。

スナン・ボナンの墓へ向かう

 墓の近くまで車で移動。アーケードになっている道を歩く。少しすると、人だかりができていた。聖地巡礼は、どこの国でもたくさんの人がしているようだ。墓に近づくにつれ、たくさんの出店も見えてきた。観光地のような雰囲気があり、食べ物や土産物も売られていて、福岡の大宰府天満宮のようだと思っていたが、すぐに、道の両サイドに隙間なく墓が現れた。イスラム教は土葬なので、墓一つ一つに誰か埋まっていることを考えると、観光の雰囲気はなくなった。たくさんの墓を抜けていくと、一番奥にスナン・ボナンの墓7がある。

スナン・ボナンの墓

 スナン・ボナンの墓には屋根が設置されていた。床には石のタイルが敷かれており、かなりキレイに掃除されているようだ。靴を脱ぎ中へ入る。広い空間の中にはさらに屋根が設置されており、そこがスナン・ボナンの墓のようだ。立ち上がることができない低い屋根の下に座って、たくさんの人達がコーランを読んでいた。僕にはアザーンとコーランはどちらも同じような歌に聞こえるので違いが分からないのだが、あれはコーランを読んでいるんだよと教えてくれた。

 天井が高く、たくさんの人のコーランを読む声が響く。カトリック教会のミサを訪れたときも思ったが、神聖な場所での人々の営みは、美しく見えるものだ。

 その様子を観察していると、豪雨が降ってきた。この墓には天井はあるが、壁は設置されていないため、豪雨の音も響き渡った。雷も鳴っている。そんな中、コーランは読まれ続けていて、なかなか凄い状況を目撃しているなと思った。

二重の屋根

 雨の音とコーランの声が、屋根で響いているのを見上げながら聞いていると、屋根の上に屋根が設置されているなと気が付いた。墓の上には低い屋根があり、その低い屋根の上にはさらに屋根がある。インドネシアには雨季があり、豪雨が降る。古い墓石は、雨の影響で風化して溶けていたものもあった。おそらくスナン・ボナンの墓が風化するのを防ぐために、屋根が設置されたのだろう。極端に低く設計された屋根も、横から入ってくる雨風をしのぐためだと考えれば、納得がいく。この低い屋根も、文化的価値があり、保存すべき対象となった為に、屋根の上に屋根が設置されることになったのかもしれない。保存のために二重になった屋根は、きっといつの日か三重にもなるんじゃないかと想像した。

 雨に打たれながら車に戻る。帰りの車内で、この道はオランダがインドネシアを植民地にしていたときに作った道だよと教えてもらった8。それを聞いて、ジャワ島全部が大きな墓のような気持ちになってきた。


  1. スナン・ボナン(1465-1525)トゥバン生まれ。父スナン・アンペル、弟スナン・ドラジャットと言われているが、マジャパヒト貴族と中国人の子孫とも言われているようで所説ある。父弟と共にドゥマク王国(ジャワで最初のイスラム王国でマジャパヒト王国を滅ぼした)の建国や発展に寄与している。また、弟ドラジャットと共に、ガムランを使った布教活動を行ったことで、イスラム教と芸術を結び付けた聖人とも言われている。 ↩︎
  2. この聖人は、ワリ・ソンゴと呼ばれている。ワリ・サンガという表記になる場合もある。ワリは神と友、ソンゴは9を意味する。ジャワ島でイスラム教が定着したのは、この9聖人によるものと考えられている。スナン・ボナンもこの9聖人の1人。また、ワリ・ソンゴの血縁関係や誰をワリ・ソンゴとするかは所説ある。一般にスナン・グレシックが15世紀初頭にジャワに到着し、その後その子弟により広まっていったとされるが、ワリ・ソンゴの多くは王国の建国や王国の重要な要職についているため、その伝承は政治的に脚色されてきたのではないかと、僕には思われる。僕が確認しただけでも、11人のワリ・ソンゴがおり、9人ではない。これは、各王国が編纂した歴史書により見解が異なるからである。マタラム王国が17世紀から18世紀に編纂したものなどがあるが、この時点でワリ・ソンゴは全員亡くなっている。おそらく、マジャパヒト王国、ドゥマク王国などを経て、マタラム王国が正当な後継国になったように位置づけようとしたもので、編纂にあたり偏りがあったと思われる。現在、ワリ・ソンゴと言われている9名は、スナン・グレシック、スナン・アンペル、スナン・ボナン、スナン・ドラジャット、スナン・クドゥス、スナン・ギリ、スナン・カリジャガ、スナン・ムリア、スナン・グヌンジャティ。
    参考:末広雅士著「九聖人(ワリソンゴ)の聖墓参拝とジャワ世界」
    参考:Badrah Uyuni著「インドネシアにおけるワリ・ソンゴ(九人の聖人)の探求 ziyarat宗教観光(巡礼)の視点から
    参考:Wikipedia(Wali Sanga)
    参考:Wikipedia(Babad Tanah Jawi) ↩︎
  3. カピタヤン(Kapitayan)は、旧石器時代からジャワ島にあったと考えらる自然信仰。目に見えない自然などを信仰の対象としている点で、日本のアニミズムに近いものだと考えていたが、一神教という点で違う。
    参考:Wikipedia(Kapitayan) ↩︎
  4. この融合した信仰をケジャウエン(Kejawèn)と言う。ケジャウェンは、イスラム教伝来前からジャワに存在していた。ジャワ島では、支配する国王によって支持する宗教が変わって来た歴史があり、その都度カピタヤンと融合していると考えられている。現在のジャワ島のイスラム教は、イスラム教に融合したカピタヤン、カピタヤン化したイスラム教で、宗教的・哲学的ジャワの伝統である、ケジャウェンとなっている。また、現在でも、ヒンドゥー教や仏教的な要素が、儀式や生活の中に見え隠れすることがある。
    参考:Wikipedia(Kejawèn) ↩︎
  5. カンボジア説や中国説は、スナン・ボナンではなく、スナン・グレシックだと思われる。スナン・グレシックは、ワリ・ソンゴの1人目で、現在の南ベトナムに位置していたチャンパ王国に13年間滞在し、その間にチャンパ王国の王女と結婚し、ジャワに到着したとされている。しかし、これも所説あり。グレシックの息子であり、スナン・ボナンの父と言われている、スナン・アンペルは、チャンパ王国で生まれている。9名のワリ・ソンゴの内、6名は血縁関係があったとされている。 ↩︎
  6. カピタヤンとイスラム教が融合したと言っていたが、実際には聖人たち(ワリ・ソンゴ)は仏教やヒンドゥー教的な要素も使いながら布教したと思われるため、それらは複雑に融合している。また、ワリ・ソンゴは全員王家と関わりがあるため、王家と切り離して考えることは難しいと思う。 ↩︎
  7. Google Maps ↩︎
  8. 血の道と呼ばれている。このことについては、Day21-2「お祈りの時間」で触れている。 ↩︎