Day22-2.「繰り返し思い出すために」

イスラム教関連商品を扱う問屋
バイクの後ろに乗って問屋に向かう道中。モスクが綺麗だった。
バイクの後ろに乗って問屋に向かう道中。モスクが綺麗だった。
問屋の前にいた鶏。スラバヤでは籠で買われている鶏もいる。
問屋の前にいた鶏。スラバヤでは籠で買われている鶏もいる。
問屋の看板
問屋の看板
店内にはサル―の在庫が入った段ボールが積まれていた
店内にはサル―の在庫が入った段ボールが積まれていた。

 帰国前に、土産を買いに行かなくて良いかと聞かれ、サルーが欲しいと言った。すぐに、イスラム教関連商品を扱う店を調べてくれ、連れて行ってくれることになった。後から聞いたが、この店は問屋だったので、通常の販売店よりも格安だったようだ。確かに、店内に置かれていた商品はどれも300円程度であまりにも安かった。日本や韓国ではサルーを買うことは難しいだろうし、買えたとしてもここより高いだろう。それにこんな機会でもなければ、ムスリムのための商品を手に取ることも無かったはずだ。結局、黒のサルー、グレーのニット帽、家で祈る時の絨毯、祈りの回数を数えるための木製の数珠を購入した。数珠

イスラム教関連商品を購入した理由
お祈り用絨毯
サッジャーダと呼ばれるお祈り用絨毯1
33個の木製ビーズでできているタスビという数珠2

 サルーを何のために買うのか、布団にでもする気かと聞かれたので、ただ楽しむためだとその時は答えた。実際、僕はサルーが気に入っている。スカートに見えるので、帰国してから着ると目立つが、夏場だと涼しいし家で着るには良いはずだ。頭にピッタリとはまるニット帽は、昔、風倉匠氏3がかぶっていた帽子に似ているように思えてきて、一瞬で気に入った4。お祈りのための絨毯は、下地の紺色と描かれている装飾部分とのコントラストが綺麗だ。自宅では玄関マットになる可能性があるが、きっと日常的に使いやすい。木製のビーズでできた数珠は15円程度だったので、つい購入してしまった5

 これらの僕の使い方は、ムスリムと違う。しかし、サルーを身に着ければ、帰国後もジャワ島での生活を思い出すことができると思う。ソボントロ村に滞在中は、彼らが礼拝に行っている時間を利用して滞在記をよく書いていた。滞在記を書く時間は、僕も礼拝しているような気持ちになっていたものだ。僕はムスリムではないが、この生活を思い出すことは、僕にとって祈りと似た効果がきっとあると思っている6

スーパーマーケットは外国

 その後、サンバルが欲しいと言ったことから、スーパーマーケットにも行けることになった。ココナッツの粉末、サンバル、Indomie(インスタント麺)などを購入。

スラバヤ市内のスーパーマーケット。レジが何台も並んでいる。
スラバヤ市内のスーパーマーケット。レジが何台も並んでいる。

 スーパーは、イオンのようにレジコーナーが並んでおり、食材はラップで包装されていた。ビールも販売されているし、クリスマスを祝うためのお菓子や贈答用の果物をラッピングした商品も販売されている。このような衛生的なスーパーは、ここに来てから一度も見たことがなかったので驚いた。カルチャーショックのような感覚さえある。来店していたインドネシア人だと思われる客も、店内の写真を珍しそうに撮っていた。このスーパー近辺が外国人が多く住むエリアだということや、ムスリムが本来飲まない酒、祝うことのないクリスマスの商品が置かれていることから、外国人客が来ることを想定した店になっていることが分かる。客も中国人が多く、まるでジャワ島にいる感じがなかった。

衛生観念はスーパーマーケットから生まれたのではないか

 衛生的な食環境は生存に関わることなので、清潔なスーパーマーケットは普及していくのだろう。数十年後には、今ある屋台や伝統的な市場などは縮小し、姿を消しているかもしれない。僕がジャワ島で見た商店や市場との差があまりにも大きく、ここが異質な存在に見えてきた。

 日本では、小さな商店でも整っているが、清潔感を保ち衛生的な食品を提供し続けることは、当たり前のことではない。資本主義や科学技術の発達を最も典型的な形で表してきた業態が、スーパーマーケットではないかとさえ思う7。スーパーマーケットの発明当初は、経済的な効果や効率化によるところが大きかったが、現在はそれだけではない。僕たちの生存本能に関わっている、何を汚いと思い、何を清潔だと思うかという衛生観念さえ植え付けているのではないか。スーパーマーケットの商品管理やディスプレイは、日本もインドネシアも共通しており、これらのデザインが、僕たちの衛生面への考え方に影響を与えていると考えるのは無理筋ではないと思う。

豪雨の中、飛行場に向かう

 そろそろ、飛行場へ向かわなくてはならないが、今日も午後から豪雨が降って来た。スーパーの中にあったカフェで雨宿りしたが、雷まで鳴ってきて全くやみそうにない。バイクの後ろに乗ってここまで来たが、豪雨のためバイクで移動ができないので、タクシーを呼んでくれることになった。タクシーでスタジオまで戻り、そのまま荷物を乗せ、同じタクシーで1人で飛行場へ向かった。


  1. デザインは、ミフラーブをモチーフにしている。礼拝用絨毯によく使われている。ミフラーブは、モスク内にあるメッカの方向を示すキブラという印を設置した壁の窪みのこと。仏教的に言うと、仏壇のようなもので、礼拝の対象となるものを設置している場所のことを言う。幾何学的な模様で飾られていることが多い。参考:Wikipedia(ミフラーブ) ↩︎
  2. この数珠は33回祈りを数えることを目的としているが、99回のものもある。祈りの言葉をズィグルと言い、読まれる祈りの種類や回数にはいくつかのパターンがあるようだ。ズィグルはコーラン等の一説を声に出して読むこと自体で、修行になるというもので、信仰実践の一環として行われる。また、アッラーには、「慈悲深きお方」「全知なるお方」などの99個の名前があるらしく、これをズィグルとして口に出すことも一般的なようだ。このような数珠はイスラム教世界ではムハンマドが生きた時代には無かったため、比較的新しいイノベーションだと考えられている。そのため、カウントするためのデバイスや、アプリケーションなども開発されている。浄土真宗の南無阿弥陀も繰り返し唱え、阿弥陀仏に救いを願うが、形式的にはそれと似ていると。仏教では108という数字が大事になるため、数珠の数は108が割り切れる数になっている。また、日本の浄土真宗では手を合わせるだけだが、真言宗や天台宗では数珠を数えて念仏を数える。大乗仏教にも同じルーティーンがある。また、カトリックのロザリオも数珠であり、祈りの回数を数えるために使われる点で似ている。宗教の内容や神や仏の理解の仕方は違っても、共通点があり興味深い。それぞれの数珠のデザインと使い方も非常に似ている。
    参考(イスラム教):Youtube(How Are Prayer Beads Used by Muslims?)
    参考(大乗仏教):YouTube(How to use Mala Beads for Meditation)
    参考(真言宗):YouTube(お数珠の使い方)
    参考(カトリック):カトリック聖ヴィアトール北白川教会「ロザリオの祈り」 ↩︎
  3. 参考:Wikipedia(風倉匠) ↩︎

  4. 購入したサル―とニット帽を身に着けてみた ↩︎
  5. この数珠には面白い機能があることを教えてくれたことも、購入のきっかけだった。イスラム教にも念仏のようなものがあり、それを33回唱えるための道具だと説明を受けたからだ1。もし数珠が無ければ、指の関節部などを数える方法もある。繰り返すという手法は、僕の作品でよく使うので、いつか作品のアイデアにならないかとも思う。
    参考:SimplyIslam「指でズィグルを行う方法」 ↩︎
  6. 奇しくも、数珠を使って祈るズィグル(Zhikr)は、複数形になると、思い出しすことを意味するアズカール(Adhkar)になる。アズカールは、宗教的な意味では、アッラーを思い、称える礼拝のことを指す。参考:Ibn Malik Institute「イスラム教におけるズィグル」 ↩︎
  7. 現代的なスーパーマーケットは1930年、アメリカで開業。日本では1952年に大阪で開業されたのが初めだそうだ。アメリカでの例は、在庫を管理している倉庫に、直接客を入れて、自分で手に取らせレジに並ばせるということが真新しい販売スタイルだったようだ。
    参考:Wikipedia(スーパーマーケット) ↩︎