あとがき「つづいていく」

ジャワコーヒー
これが、ほんとのジャワコーヒー。日本では同じ方法で淹れたコーヒーを提供しているカフェは、ほぼ無いと思われる。懐かしい味。
この滞在記について

 この滞在記録は、2025年8月から行われる東ジャワビエンナーレ(Biennale Jatim)1に出品するため、事前に現地調査に行った時のものだ。2024年11月9日から11月30日までの約3週間の滞在中、毎日更新していた。帰国後に全体を読み返すと、ジャワ島で得た新鮮な記憶と経験が蘇ってきたが、若干熱が入りすぎていて読みにくい部分があった。脚注で補足したり、語尾や敬称を統一する等、読み物としての体裁を整えている。まだ記事の推敲や、投稿できていないものもあるが、ひとまず、あとがきを先に書いてみる。(※まだ記事の修正作業中。2025年3月6日現在)

帰国後の憂鬱

 帰国直後。南国気分から、零下10度の急激な気候変化にしばらく身体がショックを受けていた。帰国から約3カ月経過し、ようやく身体も寒さを受け入れたようだ。しかし、単に春が近づいてきたからかもしれない。ジャワコーヒーがそろそろ懐かしくなってきた。

 今日は、2025年2月20日。ちょうど44歳になった。美術活動を始めて20年が経過しようとしている。今まで残してきたゴミのように溜まった作品を思うと、徒労感でいっぱいになる。何の実も結ばず20年も経過してしまったことを誇ることが、どうしたらできるのだろうか。

 実験的なことばかりしてきたからだと慰めることはできるかもしれない。僕の創作人生は、何かに近づこうとして、その都度挫折を味わってきたため、失敗すること自体が自分であり、失敗そのものが表現であるかのような錯覚を持つようになっている。しかし、一人で落とし穴に落ちたり、闇に向かって叫んだりし続けることは辛い。誰かが時々掬い上げて世話をしないと、水槽で窒息してしまうような窮屈さを感じてくる。ここ数年は作品外でも、まともに制作できなくなるほど傷つくことが何度かあり、今回の滞在に向かう前も精神的に参っていた。ついでに膝や腰も痛くなるし、酒浸りで、まともな活動が継続的にできていたとは言えない。

創作はつづいていく

 そんな僕に、このインドネシアでの滞在制作の機会を与えてくれた羽鳥悠樹氏にはとても感謝している。僕のような人間は、生牡蠣のように傷つきやすい感受性というやつで、すぐにへこたれるし、どうしようもなく弱いという自覚がある2。このタイミングで掬ってくれたことは、随分と救いになった3。様々なことに落胆し、呪われたような気持ちになっていた時期もあったが、この滞在を通して視たインドネシアの人々の生活は美しく、心が洗われた。つっかえたものが溶け、想像的な生活を久しぶりに送ることができた喜びを、今後の糧にできるよう努力したい。

 滞在のサポートをしてくれ、様々な経験をさせてくれた、Prewanganプレワンアンのメンバーや、リーダーのインポー(Indraインドラ Prayhogiプラヨギ)にもとても感謝している。彼らなしには今の僕は無い。また、滞在中の関係者全員に御礼申し上げたい。

 僕のこの20年間の活動を見てくれている稀な友人にも感謝したい。応答してくれる人がいることは、とても支えになっている。

 この滞在記録は滞在最終日を迎え一旦終わるが、東ジャワビエンナーレはまだ始まっていない。こんなに書いたのに、まだ、始まっていないんです。

2025年2月20日 寺江圭一朗


  1. 今回僕が参加するのは、第11回 東ジャワ・ビエンナーレという展覧会だ。2005年から2年に1度の間隔で開催されている。東ジャワのことをJaTim(Jawa Timur)と言うので、英語表記だと、Biennale JaTim 11となる。第11回の展示テーマは「沿岸域の回復力」となっている。
    Biennale Jatimウェブサイト ↩︎
  2. 参考:茨城のり子さんの詩「汲む」 ↩︎
  3. キュレーターにもいろいろあるが、掬いあげ救いあげることがキュレーターの仕事だと僕は思う。 ↩︎